自分は、大海に浮かぶ一枚の木葉のようだ。 どこの源から流れてきたのだろう。
どんな人でも美というものに出合わなければ、それがどんなものであることさえわからない。初めての感動というものもそれと同様で、知識や学問がまったくない人でも、すばらしい感動さえあれば「美」を求める心が生じないはずはないと思う。 善い友に親しんで、善き師に出逢って、熱心にそのすばらしい感動の話に耳を傾ければ、自然に正しいものの見方ができるようになるだろう。愚昧な自分の眼前の霧が晴れてくる。その時は、過去の優劣の差別などなく、それぞれの表現の道が幾筋も開かれているだろう。
「人工の創造の美」を幾重も越えて、「真の創造の美」に近づきたい。
日本という環境風土に根差した美とは何か。
古代から続いている美しい言葉。いのちの言葉。 ものを生かすエネルギー、ものから生かされる温かな優しい表現。
人間が存在するという天地創造の美が、ことばの姿になって日本人をかたちづくっていると思う。現代人は、天地の魂を揺り動かす言葉を失っている。
この国の多くすばらしい古典には、いっぱいそれが詰まっているのに・・・。
多くの日本の人々は、まるで自分とは無関係のように感じてしまっている。
自分の遺伝子が解明される時代にもかかわらず、己の美しい根っこを失っている。
日本の自然の原点に帰りたい。
からだ全体で大地を耕し、青く広い高い空を仰ぎ見、こころの旅をしたい。
正しいものに出逢いたい。本物の美に出逢いたい。
私のやきものの道程は、いのちの発見であり、いのちの言葉の表現でありたいと願っている。
願わくば、初心を忘れず大志をもって、真の美に近づきたい。
願わくば、多くの善き師に出逢い、深く学び、楽しんで精進したい。
願わくば、生活の中、大地の恵みへ感謝し、自分のつくった器を出合いにして、悲しみも喜びも踏越えて、人々と共に幸せになりたい。
そう祈る毎日です。 まだまだ拙いものですが、皆々様にご高覧賜りたく存じます。
2003年個展に臨んで